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大阪高等裁判所 昭和55年(う)981号 判決 1985年4月05日

国籍

韓国(慶尚北道善山郡舞乙面武夷洞四三五)

住居

大阪府八尾市北本町一丁目二番六号

会社役員

延田清一こと

田宅相

大正一〇年九月二四日生

本店所在地

大阪府八尾市北本町一丁目二番六号

商号

延田興業株式会社

右代表者代表取締役

延田清一こと

田宅相

右田宅相に対する所得税法及び法人税法各違反並びに延田興業株式会社に対する法人税法違反被告事件について、昭和五五年一月三〇日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人両名からそれぞれ控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 川瀬義弘 出席

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人田宅相の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人大槻龍馬作成の控訴趣意書(第二点を除く。)、控訴趣意書の誤記訂正申立書第一項、控訴趣意書補充書(第三項のなお書きの部分を除く。)、控訴趣意書の訂正及び証拠調請求についてと題する書面の第一項並びに釈明に対する回答及び控訴趣意書各記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官作成の答弁書及び意見書各記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、被告人田宅相について訴訟手続の法令違反、事実誤認及び量刑不当を、被告人延田興業株式会社(以下、被告人会社ともいう。)について量刑不当をそれぞれ主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併わせ検討し、以下のとおり判断する。

一  島本一之名義の通知預金一〇〇万円は被告人田に帰属しない旨の主張について

所論は、右預金が被告人田に帰属するとした原判決は、事実を誤認したものであるという。しかし、原判決の右認定は、その詳細に示された理由とともに相当であって、右理由中に掲記されている各証拠によれば、原判決の右事実認定は、優にこれを肯認することができる。以下、この点に関する所論の要点について判断を示す。

所論は、まず、「原判決の右事実認定の最大の根拠は、架空名義定期預金解明書(符号三九号、以下、解明書ともいう。)であると解されるところ、右解明書は、昭和四五年四月二〇日ごろ作成され、翌四六年の三月八日に差し押さえられているのであるから、その当時であれば、その作成者、作成目的は当然明らかにできたはずであるのに、査察官、検察官のいずれもがこれを明らかにせず、その結果生ずる不利益を被告人が一方的に負うことになった。このような場合、右解明書は、証拠物としての存在は証拠となり得ても、書面の意義は証拠なし得ないのに、原判決は、その記載内容を事実認定の資料としており、これは訴訟手続の法令違反に該当する。」という。

しかし、本件で証拠調べが行われたのは、右解明書中の野島忠義作成部分のみであり、原判決もその部分のみを事実認定の資料としているところ、右部分の証拠調べについて、弁護人は刑事訴訟法三二三条三号の書面として取り調べられることに異議はない旨陳述しているうえ、右部分が右野島の作成にかかるものであること、その作成目的が仮名預金の真実の預金者を明らかにすることにあったこと及びその作成方法が被告人田の預金の当時の担当者であった右野島の記憶に基づくものであったことは、同人の原審における証言により明らかにこれを認めることができるので、原審が右部分を書面の意義が証拠となる証拠物として取調べこれを事実認定の資料としたことは正当であり、原審の訴訟手続に所論の違法はないというべきである。

所論は、さらに、右野島は原審において、(1)右解明書中の島本一之名義の預金の帰属者が「延田清一」(被告人田)であるとの記載部分は、何に基づいて記載したものか、また、的確な証拠があってこれを書き込んだものかどうかわからず、右解明書を作成した動機もわからない旨、さらに(2)昭和四六年三月八日付近畿相互銀行生野支店長山崎豊茂作成名義の確認書により、前記解明書中の速水龍治及び植田喜久男名義の各預金は「延田清一」に帰属することを確認したが、その後の自己の同月二九日付国税査察官に対する供述書においては、右帰属を否定した旨それぞれ証言しているので、右解明書中の「延田清一」なる記載部分は、必ずしもその全部を信用することはできないという。

しかし、右野島は、右(1)の点については、右解明書中の真実の預金者が「延田清一」である旨の記載は、それが作成された昭和四五年四月当時の自己の記憶に基づいてしたものであり、当時右延田の預金状態を一番よく把握していた者は、同人の外廻り担当者であった自分であった旨、また同(2)の点については、所論主張のように速水ら名義の預金が「延田清一」に帰属すると一旦確認しながら、のちにこれを否定したのは、昭和四四年四月一日に「延田清一」の預金が全部払い戻されたことがあり、その後新たに預け入れられたことがあったかもしれないが、はっきりした記憶がなかったので、右四月一日より後に払い戻された右速水ら名義の各預金は、右確認から除外することにした旨それぞれ証言しており、その合理的な証言内容及びその根拠となっている前記解明書には、預金の印鑑票と照合するなどして「延田清一」の預金であることを確認し、かつ、右印鑑票の写しを添付した山崎支店長作成の前記確認書という有力な裏づけがあることなどに徴すると、右解明書に「延田清一」と記載された預金は、前記速水ら名義の分を除いて、すべて右延田こと被告人田に帰属すると認めるのが相当である。特に、本件で問題となっている島本一之名義の分は、右解明書によれば、昭和四四年四月一日に払い戻されており、右解明書が前記のとおり昭和四五年四月に作成されていることからして、その記載は前記野島の比較的新しい記憶に基づいて記入されたものと認められるので、その信用性は高いというべきである。

次に、所論は、(1)原判決は、前記確認書添付の印鑑票写しの裏面に記載されている「サトウセイサクショ」及び「七日入金」又は「七月入金」の記載部分(以下、「サトウセイサクショ」等の記載などと略称する。)は、一時的なメモ代りとして記載されたものと思料されると判示しているが、銀行において重要書類として保管している印鑑票の裏面に、鉛筆ならともかく、ペン又はボールペンを使用して右のようなメモをすることは、常識上あり得ることではなく、(2)したがって、右「サトウセイサクショ」の記載は、右印鑑票写しの表面に記載されている島本一之の氏名、印影と何らかの関係があると考えるのが常識であるという。

しかし、右(1)の点については、右印鑑票写し中の「サトウセイサクショ」等の記載部分は、同票に正式に記入されている表面及び裏面上段の預金者の住所、氏名、担当者名、金額等の記入部分(以下、正式に記入された部分という。)と比較して、筆跡、字の太さ及び濃淡を全く異にしており、書体も走り書き的に、すなわち、「七日」か「七月」かは必ずしも判読できず、「サトウセイサクショ」の「ウ」及び「シ」などはむしろ他の字ではないかとさえ疑われるほど乱雑に書き込まれているので、原判決が「サトウセイサクショ」等の記載部分は一時的なメモ代りとして記載されたものと判断したことは相当というべきである。所論は、右印鑑票は重要書類であるというが、右印鑑票写し及び前記解明書を照合すれば、同票に記載された預金は、昭和四四年四月一日に払い戻されているので、右印鑑票はその後は書類としての重要性を失っており、その裏面に同票と関係のない事項を走り書きすることは十分ありうることである。また、前記(2)の点については、右(1)で説示したところのほかに、右印鑑票写しの各記載と前記解明書中の島本一之名義の各記載とを比較すると、右印鑑票に正式に記入された部分の預金者、預金額、担当者、支払日などは、解明書中の名義人、預金額、担当者、支払日などいずれも一致しているにもかかわらず、右印鑑票中の「サトウセイサクショ」等の記載部分のうち「七日入金」又は「七月入金」なる記載は、右解明書の各記載と全く関連していないことも考慮すると、「サトウセイサクショ」の記載は、右印鑑票に正式に記入、押捺された島本一之の氏名、印影とは無関係であることは明らかであるというべきである。

所論は、さらに、原審は、弁護人の要望にもかかわらず、右印鑑票の原本の取寄せを怠り、審理を尽くさなかったというが、弁護人は原審において、右印鑑票の写しが添付されている前記確認書の取調べに異議がない旨陳述しているばかりでなく、前記「サトウセイサクショ」等の記載部分が一時的なメモ代りとして記入されたものであることは、写しによっても前記のとおり明瞭であるので、原審がその原本を取り寄せなかったからといって、審理を尽くさなかったとはいえない。

所論は、また、検察官が右佐藤製作所へ問い合わせた場合、たとえ右預金が同製作所のものであったとしても、同製作所がこれを肯定することはないと考えるのが常識であるという。

しかし、検察官作成の電話聴取書によれば、同製作所の佐藤重兵衛が検察官からの問い合わせに対し、右預金が同製作所のものではない旨の回答をしたのは、昭和五四年四月のことであり、当時は右預金がなされたころから優に一〇年は経過していたのであるから、右佐藤が所論のように検察官に対し真実に反してまで右預金が同製作所に帰属しない旨の解答をするとは決していえないばかりでなく、弁護人は右電話聴取書の取調べに同意しているのであるから、原判決が右書面並びに前記解明書、確認書及び野島忠義の原審証言などにより、右預金が右佐藤製作所ではなく、「延田清一」に帰属すると認定したことは相当であるというべきである。

次に、所論は、佐藤製作所へ尋ねてみて同製作所の預金ではないとの返答があったということから直ちに右預金が被告人田の預金であると決めつけることは、判断の飛躍であるというが、原判決は、前記のとおり、前記電話聴取書のほかに、前記解明書、確認書及び野島忠義の証言をも資料として右預金が被告人田に帰属することを認定しているのであるから、所論の非難は当たらないというべきである。

以上のとおり論旨は理由がない。

二  原判示第一の二の事実につき、被告人田の昭和四四年分の事業所得に関し、延田興業株式会社勘定を原判決認定の六六、〇八五、八八六円より更に八、九七五、九八六円減算すべきである旨の主張について

所論は、原判決は、被告人田の昭和四四年分の事業所得に関し、同被告人と延田興業株式会社(以下、延田興業ともいう。)との間の貸借勘定は、原判決添付の別紙(三)の修正貸借対照表(同年一二月三一日現在)中の同会社勘定六六、〇八五、八八六円にすべて包含されているというが、右勘定は、

法人の役員立替金残 △五六、九六四、一六〇円

法人未払金残 四六三、一一七円

過大過少引継修正 △一八、五六〇、八二九円

合計 △七五、〇六一、八七二円

となるべきであり、したがって、右勘定は、原判決認定額より更に八、九七五、九八六円減額すべきであって、原判決はこの点において事実を誤認しているという。

そこで検討すると、原判決は、被告人田の同年分の事業所得を、(1)一月一日から七月三〇日まで(現判決添付別紙(二)の修正貸借対照表)と(2)七月三一日から一二月三一日まで(同(三)の修正貸借対照表)の分に分けて算出し、その合計額を同年の事業所得としているところ、所論は、右(2)の期間の所得の算出につき原判決が財産法を用いていることを前提とし、右別紙(三)の修正貸借対照表中の延田興業勘定六六、〇八五、八八六円のより以上の減額を主張することにより、同表中の所得金額の減少を主張するものであるが、原判決は、右期間の所得を財産法によって算定しているのではなく、次のように損益法によってこれを四三一、〇〇七円と算出認定しているのである。

(一)  事業所得

計量収入 八一七、七〇〇円

雑収入 一、二四四、六五一円

給料 △三四八、〇〇〇円

減価償却費 △ 四三、二九四円

貸倒金 △五〇〇、〇〇〇円

事業税 △七四〇、〇五〇円

計 四三一、〇〇七円

そして、原判決は、さらに、

(二)  店主貸勘定を

生活費 一、〇〇〇、〇〇〇円

所得税 四、一二七、六〇〇円

固定資産税 一五、八〇〇円

計 五、一四三、四〇〇円

(三)  店主借勘定を

給料(日進興業株式会社) 一七八、〇五〇円

同 (延田興業) 八〇〇、〇〇〇円

受取利息 四七八、八九二円

不動産所得 一、四八四、〇九二円

譲渡所得 二、三六八、八四〇円

計 五、三〇九、八七四円

とそれぞれ算出認定し、以上(一)ないし(三)の事業所得金額及び個人収支に加えて同年一二月三一日現在における財産状態をも認定し、以上の貸借対照表における貸借差額を逆に延田興業勘定に計上していることが明らかであり、その計算方法に誤りはなく、また、前記(一)の損益法による事業所得の算出認定も、久保浩作成の昭和四七年一月二二日付査察官調査書類及び飯田光子作成の供述書などによれば相当であって、その額は動かし難いものと認められる。したがって、所論が右延田興業勘定の額を争うことによって前記(2)の同年七月三一日から一二月三一日までの期間の事業所得額を争うことは、失当というべきである。

なお、所論は、延田興業勘定を、法人の役員立替金残、法人未払金残及び過大過少引継修正の合計額として捕らえるが、これでは期首における財産状態の修正はなしえても、その後における期間中の財産の変動を所得の計算に反映させることはできないから、所論はその計算方法において誤っているというべきである。

しかし、所論にかんがみ職権をもって記録を検討すると、原判決は、前記(1)の同年一月一日から七月三〇日までの事業所得の算出認定(原判決添付の別紙(二)の修正貸借対照表)においては、誤りをおかしていることが認められる。すなわち、原判決は、右期間の事業所得については財産法により算定していると認められるところ、今仲武作成の確認書などによれば、延田興業は、被告人田が支うべきプリント料五〇、〇〇〇円を昭和四四年七月三〇日に支払っているので、原判決は、前記(二)の貸借対照表に延田興業勘定欄を設け、その貸方の当期増減金額及び差引修正金額の各欄に各五〇、〇〇〇円と記入し、所得税を算定すべきであったのに、これを書き洩らしたため、所得額を実際よりも五〇、〇〇〇円過大に認定することになったこと、すなわち、同表の所得金額欄中の貸方の当期増減金額欄に三四、一六六、四六八とあるのは、三四、一一六、四六八と、同差引修正金額欄に四六、八四五、六六二とあるのは、四六、七九五、六六二とそれぞれすべきであったことが認められる。

なお、右(二)の表の記載の誤りは、前記(三)の修正貸借対照表の記載にも影響を及ぼし、延田興業勘定欄中の貸方の過年度金額欄に新たに五〇、〇〇〇円が記入されて、その差引修正金額欄の六六、〇八五、八八六は、六六、一三五、八八六に、また、元入金欄の各記載は、各五〇、〇〇〇円減少して各四一三、一〇五、一七二円にそれぞれ修正されるべきであるが、右修正の結果同表の所得金額欄の数額が変動しないことについては、前述したとおりである。

以上説示したとおり、原判決の前記(2)の同年七月三一日から一二月三一日までの期間の事業所得額の認定は正当であるが、同(1)の同年一月一日から七月三〇日までの事業所得額の認定には、実際額より五〇、〇〇〇円を過大に認定した誤りがあり、結局、原判決には、同年分全体の事業所得を四七、二二六、六六九円と認定すべきところを、五〇、〇〇〇円過大に認定し、四七、二七六、六六九円とした事実誤認があることになる。そして、原判決挙示の各証拠によれば、原判決は、被告人田の同年分の所得のうち右事業所得以外の譲渡所得、不動産所得、給与所得などの各金額は正当に認定していることが認められ、結局、原判決には、同年分の所得総額を五二、七二七、四八四円と認定すべきところを、五〇、〇〇〇円過大に認定し、五二、七七七、四八四円として誤りがあることが認められ、原判決は、右誤認の結果、所得税額についても、これを三五、〇〇〇円過大に認定し、二九、七〇八、〇〇〇円とすべきところを二九、七四三、〇〇〇円と、また、逋脱額についても、同様三五、〇〇〇円を過大に認定し、二二、六三四、九〇〇円とすべきところを二二、六六九、九〇〇円とそれぞれ誤って認定していることが認められる。

そこで右事実の誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるかどうかについて検討するに、以上のとおりその誤認は、その実額及び割合においていずれも些少であり、右事実の犯情の認定に影響がないと考えられるうえ、右事実が原判示所得税法二三八条の二項を適用すべき事案ではないことも考慮すると、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。

論旨は結局理由がない。

三  被告人両名についての量刑不当の主張について

本件は、被告人田が昭和四三年及び四四年分の所得税合計四八、四〇八、八〇〇円中の三四、八六三、五〇〇円をほ脱した所得税法違反二件(原判示第一の一、二の各事実、ただし、昭和四四年分の所得税額及び同ほ脱額については当審で認定した額による)及び被告人会社の代表取締役である被告人田が右会社の業務に関し、昭和四四年七月一四日から同四五年六月三〇日までの期間の法人税三四、九一八、八〇〇円中の二三、七八八、七〇〇円をほ脱した法人税法違反一件(同第二の事実)の事案であり、当時の貨幣価値を考慮すると、ほ脱額及びほ脱率とも極めて高いこと、被告人田は、右各違反行為を一人で企図し、従業員などを使用してこれを実行したものであって、犯情芳しくないことなどに徴すると、被告人両名の責任は重いというべきであるので、本件後被告人田が反省し、自己及び被告人会社の納税を正しくするよう努力していること並びに被告人田にさしたる前科がないことなど被告人両名について酌むべき一切の事情を斟酌しても、被告人田を懲役一年執行猶予三年及び罰金七〇〇万円、被告人会社を罰金五〇〇万円にそれぞれ処した原判決の量刑が重過ぎるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、被告人両名の本件各控訴はいずれも理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却し、当審における訴訟費用を被告人田に負担させることにつき同法一八一条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長 裁判官 家村繁治 裁判官 田中清 裁判官 久米喜三郎)

昭和五五年(う)第九八一号

○控訴趣意書

法人税法違反 被告人 延田興業株式会社

同 被告人 田宅相

所得税法違反 被告人 田宅相

右被告人らに対する頭書被告事件につき、昭和五五年一月三〇日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

昭和五五年九月一〇日

弁護人弁護士 大槻龍馬

大阪高等裁判所第六刑事部 御中

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反ならびに事実の誤認がある。

(刑訴法三七九条・三八二条)

一 原判決は罪となるべき事実として、

第一 被告人田宅相は、八尾市北本町一丁目二番六号等においてパチンコ店等を経営していたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、

一 昭和四三年の所得金額が三六、〇〇九、四五〇円で、これに対する所得税額が一八、七〇〇、八〇〇円であったにもかかわらず、公表経理上売上の一部を除外し、これによって得た資金を架空名義の預金にする等の行為により、右所得金額中二〇、九三七、六三〇円を秘匿したうえ、昭和四四年三月一一日、八尾市本町所在の八尾税務署において、同税務署長に対し、同年分の所得金額が一五、〇七一、八二〇円で、これに対する所得税額が六、四七二、二〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により所得税一二、二二八、六〇〇円を免れ

二 昭和四四年分の所得金額が五二、七七七、四八四円でこれに対する所得税額が二九、七四三、〇〇〇円であったにもかかわらず、前同様の行為により、右所得金額中三六、三〇四、三三〇円を秘匿したうえ、昭和四五年三月一六日、前記八尾税務署において、同税務署長に対し、同年分の所得金額が一六、四七三、一五四円で、これに対する所得税額が七、〇七三、一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により所得税二二、六六九、九〇〇円を免れ、

第二 被告会社延田興業株式会社は、八尾市北本町一丁目二番六号に本店を置きパチンコ店等を営むもの、被告人田宅相は、同会社の代表取締役としてその業務全般を統轄しているものであるが、被告人田宅相は、右被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、昭和四四年七月一四日から昭和四五年六月三〇日までの事業年度において、その所得金額が三四、九一八、八〇〇円で、これに対する法人税額が三四、九一八、八〇〇円であったにもかかわらず、前同様の行為により、右所得金額中六四、七三一、八四六円を秘匿したうえ、昭和四五年八月三一日、前記八尾税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が三一、〇一〇、〇五八円で、これに対する法人税額が一一、一三〇、一〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により法人税二三、七八七、七〇〇円を免れたものである。

(第一の一の事業所得の内容は別紙(一)の、第一の二の事業所得の内容は別紙(二)及び(三)の各修正貸借対照表のとおりであり、第二の所得の内容は、検察官の冒頭陳述書添付の修正貸借対照表中延田清一勘定欄、当期利益金欄及び合計欄の各当期増減金額、差引修正金額をそれぞれ一八、六八〇、八二九円ずつ減ずるほかは同修正貸借対照表のとおりである。また、第一の各税額計算は別紙(四)の、第二の税額計算は別紙(五)の各税額計算書のとおりである。)

なる事実を認定し、弁護人主張の争点のうち次の二点につきその主張を排斥した。

1. 近畿相互銀行生野支店における島本一之名義の通知預金一〇〇万円は被告人田宅相に帰属するものでないとの主張。

2. 被告人田宅相の昭和四四年分の事業所得につき、延田興業(株)勘定を一八、六二〇、八二九円減算されるべきであるとの主張。

二 島本一之名義の通知預金一〇〇万円は被告人田宅相に帰属するものでないことについて

1. 原判決は、右通知預金一〇〇万円が被告人田宅相に帰属する理由を次のように判示している。

第三六回および第四七回各公判調書中証人野島忠義の供述部分、野島忠義の収税官吏宛昭和四六年三月一〇日付供述書、第三回公判調書中証人木脇巖の供述部分、山崎豊茂の収税官吏宛昭和四六年三月八日付確認書(第四六回公判で取調べた分)、ならびに押収にかかる符号39号の綴り(架空名義定期預金解明書と表示されているもの)を綜合すると、右の綴りは、昭和四二年四月から昭和四五年三月までの間の前記支店における預金の一部について、預金者の名義、預金の時期および金額、同支店内の担当者、本名、仮名の別、仮名の場合はさらに本名、預金者の住所、職業等を記載したもので、昭和四五年四月、同支店の外廻り担当者らにより、店内の連絡日報や担当者の記憶等に基づき作成されたものであり、本件強制調査着手時(昭和四六年三月八日)、査察官が同支店を捜索した際発見、押収されたものであること、右綴り中で問題の島本一之名義の預金の帰属者は延田清一、担当者は野島と記載されており、右延田清一の記載は野島忠義がしたものであるところ、同人は同支店において昭和四〇年六月預金係長、昭和四二年一月渉外係長となり、同年六月以降は外廻り担当となり、その後昭和四三年四月から同年九月までの間を除いて前記強制調査着手当時まで延田清一こと田宅相をも担当していたもので、右綴りが作成された当時右田宅相の預金については同支店内で最もよく事情に通じていた者であったこと。右島本一之名義の預金を含む田宅相帰属の仮名預金の印鑑票(写)等を整え添付した前記確認書は、同支店において右の綴りに基づきさらに帰属先につき確認したうえ作成されたものであることの各事実が認められ、これらの事実を綜合すると、前記島本一之名義の通知預金は被告人田宅相に帰属するものと認定するのが相当である。

なるほど前記確認書中の右預金の印鑑票(写)の裏面には「サトウセイサクショ」なる記載があるけれども、同記載のすぐ上には、それと同時に記されたと認められる「七日入金」又は「七月入金」なる記載があること、右各記載と同印鑑票の表面及び裏面上段の預金者の住所、氏名、担当者名、預入日、証書番号、支払日、金額の記載とを比較すると、両者は別の機会に記されたものと認められること、検察官作成の電話聴取書によると、もと佐藤製作所の代表取締役であった佐藤重兵衛は検察官に対し、佐藤製作所は近畿相互銀行生野支店に島本一之名義で預金したことはない旨明言していること等の諸点を総合すると、右印鑑票(写)の裏面の「サトウセイサクショ」等の記載は、おそらく、一時的なメモ代りとして記されたものであり、同印鑑票のその余の記載とは関係がないものと思料される。弁護人は、たとえ右預金が佐藤製作所のものであったとしても、同製作所が検察官に対しその事実を肯認することはありえないというけれども、右の電話聴取がなされたのは昭和五四年四月二四日で、右の預金がなされていた頃からは優に一〇年を経過していること、問題にされている事柄は一〇〇万円の通知預金一口を仮名にしたということで、それが官に発覚してもさほど大事に至るような事柄ではないこと、ならびに、右佐藤は検察官から右預金の印鑑票の裏面に「サトウセイサクショ」の記載があることまで告げられて尋ねられていること等に照らすと、弁護人主張のように佐藤製作所が真実を述べる筈がないという見方には左祖し難い。

2. 右判示によれば、原判決が前記島本一之名義の通知預金一〇〇万円を被告人田宅相に帰属するものと認めた最大の根拠は符号三九号の「架空名義定期預金解明書」と表示された綴中の前記ごとき記載によるものと思料される。(この表示は、査察官よってなされたものであるが、その内容は必ずしも架空名義に限られていない。)

右の綴は、査察官が本件強制調査着手時である昭和四六年三月八日、近畿相互銀行生野支店において捜索の際発見押収されたもので冒頭の四月二〇日(月)なる記載から昭和四五年四月二〇日頃、作成されたものと推測されるところからみると、本件査察調査と何ら関係なく作成されていたもので、この点においてはかなり高度の信用性を有することはできないものである。

しかしながら、およそ銀行内において業務上作成され保管される書類は、その作成者・作成目的・作成方法が明らかでなければならないことは当然であり、これらの点が明らかにされないかぎり、書面の意義が証拠となる証拠物たる右の綴は、単に存在が証拠となるだけであって、書面の意義を証拠とすることはできないものと解する。

原判決は、右の綴は昭和四二年四月から昭和四五年三月までの間の同支店における預金の一部について預金者の名義・預金の時期および金額・同支店内の担当者・本名仮名の別・仮名の場合は、さらに本名預金者の住所・職業等を記載したものであるというが、右のうち「預金者の名義」「預金の時期および金額」「同支店の担当者」は、同一人の筆跡と見受けられ、常識上この筆跡者が右の綴の作成を企図したと思われるのに、原審では検察官に対し、釈明によってその者の氏名や作成目的についてこれを明確にさせようとはしないまま、記載事項のうち、「本名・仮名の場合はさらに本名」「預金者の住所・職業等」の記載は同支店の外廻り担当者らにより店内の連絡日報や担当者の記憶等に基きなしたとだけ認定しているのである。

右の綴りは昭和四五年四月二〇日頃作成され、翌四六年三月八日差押えられているのであるから、その当時であればその作成者及び作成目的は当然明らかにできた筈であるのに、査察官・検察官のいずれもがこれを明らかにせず、その結果によって生ずる不利益を被告人が一方的に負わされることは洵に不合理といわねばならない。

かような場合、右の綴は証拠物としての存在は証拠となり得ても書面の異議を証拠となし得ないものなるところ、書面記載内容を事実認定の証拠となした原判決はその訴訟手続に法令の違反があることが明らかである。

しかしのみならず原判決が引用する原審第四七回公判における野島忠義の証言によれば、前記綴中の島本一之名義の預金の預金者名の「延田清一」の記入は自らなしたと認めているものの「右延田の記載は何に基いてなしたか記憶がない」「的確な証拠があって書き込んだものかどうかもわからない」「解明書作成の動機もわからない」と供述し、同綴の第六枚目第一行「44.7.25、速水龍治3,000,000、44.7.14野島、延田清一」のうち延田清一は自分が記載したが右速水龍治名義の預金は延田清一のものではない」と供述している。

さらに右の綴中の縦罫紙を使用した部分の六枚目に「12.31、速水龍治、3,000、延田清一」八枚目に「44.44植田喜久男、△1,000、延田清一」九枚目に「44.7.14、速水龍治、通3,000、延田」「44.7.25、速水龍治、△3,000、通延田」なる各記載があるところからこれらは前記島本一之名義の通知預金とともに延田清一に帰属するものと確認できるとして、昭和四六年三月八日近畿相互銀行生野支店長山崎豊成名義で国税査察官宛に確認書を提出していたに拘らず、その後同月二九日付供述書をもって、速水龍治、植田喜久男名義分については延田清一の預金と関係がない旨査察官に供述しているのである。(原審第二六回野島忠義の証言)

右の経過に鑑みると、前記綴において野島忠義がなした「延田清一」なる記載は必ずしもその記載のすべてを信用することはできず、このことは被告人がその帰属を認めていない島本一之名義の預金についても同様である。

なお原判決は、右島本一之名義の預金の印鑑票の裏面の「サトウセイサクショ」等の記載は一時的なメモ代りとして記載されたものと思料されると判示している。

この点について弁護人は、原審において検察官に対し原本の提出を求めたが検察官はこれに応じないまま、第四七回公判で野島忠義に対し「ちょっと原本がないのでペン書きかボールペンかというところまでよくわからないんですが、ちょっとペンのような感じですけれども……」という内容の問を発している。

原本の提出に応じない検察官の右の尋問自体まことに奇異を感じさせるのである。

銀行が重要書類として保管している印鑑票の裏面に鉛筆ならとも角、ペン又はボールペンを使用して右のようなメモをすることは常識上あり得ることではない。

原審において、弁護人は偶然の手蔓から佐藤製作所こと佐藤重兵衛なる実在の預金者を探し出したところ、検察官はいち早く同人に電話照会し、一片の電話聴取書をもって佐藤重兵衛とサトウセイサクショこと島本一之の預金者でないことを立証しようとした。もしこのようなもので、その立証ができるならば、調査や捜査は殆ど電話で用を足すことができ、本人を呼び出して問いつめる苦労は必要でなくなるのである。

弁護人は、原審が印鑑票原本の確認もしないで軽卒な判断を下される筈がないし、佐藤重兵衛の預金でないことが直ちに延田清一の預金であるとの判断に結びつくわけではないと思料し、訴訟経済の点を考え前記電話聴取書については一応同意の上信用性を争うこととした。

近畿相互銀行生野支店における預金者の中で仮名を使用しているのは被告人田宅相唯一人に限られていたわけでなく、預金者の中にはそれぞれ自己の利益の考量のもとに種々雑多な仮名預金をしている者が相当多数に及んでいたことは前記綴によっても明らかであって、原判決はこれら預金の実体を無視し、立証責任の帰属を誤り、原本取寄せるを怠る等審理を尽くすことなく、銀行側の証人のおぼろげな供述だけで銀行業務の常識はずれた前提事実を打樹て被告人側で自己に帰属するものでないことの明確な立証をしないかぎり、その帰属を認定するという独断に奔り、もって事実を誤認したものであって、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

三 被告人田宅相の昭和四四年分の事業所得につき、延田興業(株)勘定を一八、六二〇、八二九円減算すべきことについて

1. 原判決は弁護人の右の主張に対し

弁護人は、田宅相の昭和四四年分の事業所得につき、延田興業(株)勘定の一八、六二〇、八二九円減算(簿外の存在)を主張するのであるが、田宅相と延田興業株式会社との間の貸借勘定は別紙(三)の修正貸借対照表中の延田興業(株)勘定にすべて包含されており、それ以外に存在しえないことが同勘定の算出過程からみて明らかであるので、右主張は採用することができない。

としてこれを排斥した。

2. しかしながら原判決別紙(三)修正貸借対照表中、貸方に記載されている

延田興業(株)勘定 △六六、〇八五、一八八円

は誤りであって、奥村祥男作成の「資金推移表作製に対する資産負債並びに利益金年度別内訳書」三九丁

記載のとおり

法人役員立替残 △五六、九六四、一六〇円

法人未払金残 四六三、一一七円

過大過小引継修正 △一八、五六〇、八二九円

別口利益のうち延田清一勘定 △九、七〇四、八四三円

合計 △八四、七六六、七一五円

が正当である。

3. 従って、原判決が前記弁護人の主張を排斥したのは経理計算上明らかな事実誤認であり、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点 原判決には判決に及ぼすべき訴訟手続の法令違反及び事実の誤認がある。(刑訴法三七九条・三八二条)

一 原審は検察官より取調請求がなされた近畿相互銀行生野支店における担保品台帳(符四〇一号一-四」の取調をなした。

右担保品台帳は昭和四六年三月八日、本件における査察の強制調査の際、木脇厳査察官による臨検捜索の際発見され差押えられたものであるが、その中の一葉の第一行目から第五行目までの記載によれば被告人延田清一が昭和三九年八月三一日同支店に担保として

西岡弘名義 三ケ月ホープ 四、〇〇〇、〇〇〇円

西岡進名義 同右 四、〇〇〇、〇〇〇円

西岡順一名義 同右 四、〇〇〇、〇〇〇円

西岡啓一名義 同右 四、〇七六、三六一円

西岡彰久名義 同右 四、〇七六、三六一円

の五口合計二〇、一三二、七二二円を差入れ、これらについて質権設定のうえ、その後質権が解除された事実を認めることができる。

ところが、右記載に次いで第六行目から第七行目までの間の三行にわたり「差入年月日」「預金種類番号掛金種類番号」「預金額」「名義人」「差入証徴求印」「質権設定検印及び元帳係印」「占有品受渡保管者印」の各欄に何らかの記載又は捺印がなされていたものと思われるのに何者かによってこれらの記載又は捺印部分が黒く塗りつぶされて判読できなくなっているである。銀行保管の担保品台帳にかようなことがなされているのは洵に奇異なことであるが、この点について査察官も検察官もともに、何人が、いつ、いかなる目的でなしたものかを明らかにしないのである。

これらの塗りつぶされた担保預金の内容は銀行員が被告人延田清一から依頼され適宜作成した仮名預金と思われ、被告人延田清一においてその名義を記憶しているわけではなく、担当銀行員も亦これを記憶していることは不可能と思われるのでその名義を被告人や担当銀行員の記憶によって明らかにすることはできない。而して右の三行はいずれも、先の五行分に比べ「返戻差替年月日」「質権解除検印及び元帳係印」の捺印のないところに鑑みると、本件査察強制調査時において、なお担保品として残っていたものと理解するのが相当である。

そうだとすると右預金は原審において検察官が主張する期末預金のうち、いずれに該当するのか、もし期末預金に含まれないとするならば、いつ解約され如何なる資産に変化しているのかの糺明は本件の所得計算が財産増減法によっていることから当然なされなければならないのである。

そこで弁護人は、右預金の名義人等を明らかにしたうえ、前記生野支店の定期預金元帳によって預金内容につき詳細な回答を得るため、原審において、昭和五四年三月六日付文書をもって右担保品台帳の黒く塗りつぶされた部分の記載内容の鑑定を求めたところ、原審は右請求を却下したのである。

肝心の証拠物が裁判所において押収され、その鑑定が許されないとすれば弁護人としては唯一にして最良と思われる反証活動を封じられ、なすべきはなく、その目的を達することができないまま判決を受けざるを得なかったのである。

原審における右訴訟手続は明らかに刑訴法三〇八条に違反するものであり、原審は右のような審理不尽により前記判読不能の預金の内容を明らかにしないまま、右預金を原判決添付の各貸借対照表の期首期末いずれにもこれらを計上していない点において事実の誤認があり、右誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第三点 原判決の刑の量定は重く不当である。

(刑訴法三八一条)

1. 原判決は、第一点掲記のような罪となるべき事実を認定したうえ、被告人田宅相を懲役一年(三年間執行猶予)及び罰金七〇〇万円に、被告人を罰金五〇〇万円に処したが、右刑の量定は次に述べる理由から不当に重い。

2. 被告人田宅相の期首持込預金は必ずしも完全に把握されたとは考えられず、財産増減法によって所得計算が行われている本件においては、この点において、実際の所得額よりも過大に認定されている危険性が大である。

3. 原判決は、弁護人の主張中「信用組合大阪商銀布施支店における花川政次郎名義の定期預金四一〇万円について」「日進興業(株)勘定中、延田政一に対する未払金と同人に対する被告人田宅相の貸付金について」「延田清一勘定の減算について」なる各主張を認容した。

しかしながら被告人田宅相は、既に昭和四七年所轄税務署長よりこれらの主張を認めない内容の更正処分を受け、その処分に従い納税の義務を果たして来たのである。いわば右主張認容部分に関する税額相当分は、本来納税の義務がなかったことになるが、納税猶予の制度の存しない我が国では法令上己むを得ない犠牲を強いられる結果となっている。

この犠牲は、前記第一、二点掲記の事実誤認が認容されるときはその分だけさらに増加することになる。

4. その他被告人田宅相の経歴・性格・環境・本件後の反省の状況等を併せて考察するときは原審の刑は重きに失するものといわねばならない。

以上の各理由により原判決を破棄し、さらに相当の御裁判を仰ぎたく本件控訴に及んだ次第である。

以上

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